【 迷子 】

小萩屋の裏口の門。そこに巴の姿を見つけた。
こちらに背を向けて、視線を足元に落としている。

(何してるんだ、そんな所で)

そのまま歩き去ろうとした足は数瞬の躊躇いの後に巴の方へと歩き出す。

「どうかしたか」

どうかしてるのは俺の方だと思いながら声をかけると、巴はゆっくりと振り向いた。
その足元に。

「……犬」
「ええ、犬です」
「見れば分かる」
「迷子のようです。先ほどからずっとここに」
「…………」

巴は悲しみをこめた声で呟き、そしてその場に屈みこんだ。
犬を抱こうかどうしようか迷っているらしい。
仮にも旅籠の女。犬など抱いていては仕事もできまい。俺は知らずに溜息をついていた。
(巴のためじゃない。……決して)
そう言い聞かせるように犬へと手を伸ばす。
自分のまとう擦り切れた着物に犬の毛が付こうが誰も頓着しないだろう。
抱き上げた犬の体温は軽く、そして温かい。

「緋村さん……?」
「捨て置けないなら、とりあえず俺の部屋に連れて行く」
「あ……ありがとうございます」
「……犬のためだ」

ふと、巴の手が伸びた。
それが優しく犬の頭を撫でる。嬉しいのか犬は小さく鳴いた。

「後で、食べる物を運びます」

囁いた巴の目もまた嬉しそうに細められる。
それがひどく、胸をざわつかせた。

「……ああ」

何とか答えた俺の声は微かに震えていた。
そのまま目を逸らしてしまった俺のほうこそ、迷い子だ。