薄氷を踏み割った時、優しい音が聞こえました。
「滑るから、気をつけて」
「はい」
雪がちらちらと降り始め、畑を白に染めている。
収穫を終えた畑は次の春を待つ眠りにつき、溶けて水となり凍った雪が家の周りを囲んでいた。
外に出てみようと呟いた夫の声に連れ添うように、戸を開けてみればそこはただただ静かな世界が広がっていた。
夫は数歩進み、こちらを振り返る。
「静かだ」
近くの家から聞こえる人の声も、山里から届く鳥の声も、何も。
降り落ちる雪の音さえ。
夫の側に行こうと踏み出した時、足元で小さい破裂音。
見れば、薄い氷が割れている。
その音だけが、この世界に唯一残された音のように聞こえた。
「巴?」
「やはり、羽織を」
家に戻り、夫と自分の厚手の羽織りを手に取った。
それを抱えながら歩む私の足元で、また、割れてゆく。
一つ。
また一つ。
確かなヒビが、そこに刻まれて。
「君の頬が、赤いよ」
やわらかく微笑むようになった夫の手が、
私の頬を、そして心まで温めて。
一つ。
また一つ。
確かな私の中の薄氷を、溶かしてゆく。
了