『この恋に、行き場など無い』sample

『この恋に、行き場など無い』
2012/10/07発行(完売)
A5 P,42 ¥300
表紙:カンダトモヲ様

電子版はこちらから。

実写映画での巴出演シーンから捏造した幕末の抜刀斎×巴。
非常にシリアスな展開、ラストは原作通りです。
捏造設定を含みますのでご注意下さい。

 

 

 

 

 

 

( 中略 )

三日後、頬の傷の痛みがひいた。
町のあちらこちらで新選組の隊士たちが巡察と称して見廻っている。
いや、探しているのだ。正体不明の暗殺者を。
既に幕府方の要人が数十人斬り殺されているのに足跡一つ見つけられない。
残された手がかりは骸の上に落ちた紙切れ一枚。
『天誅』の文字を背負う人斬りの見えない姿に苛立ちと脅えは最高潮に達しているのだろう。
今も目の前で巡察中の隊士が商人相手に何事か凄んでいる。
その時慣れた気配を感じて振り向いた。

「よぉ、緋村。昼間っから出歩くとは珍しいじゃねぇか」
「……飯塚さんですか」
「何だよぉ、そンな嫌な顔するこたねぇだろ。お、どうやら頬の傷もなかなか様になってきたじゃねぇか」

無言で睨めば彼は視線を新選組の方に向けた。その目に嘲笑うような色が浮かんでいる。

「武士を気取っても所詮は農民崩れだろぉ。偉そうになぁ」
それは俺たちも変わらないと胸の内で答えれば彼はフンと鼻を鳴らしてこちらの腕を引き歩き出す。

「どこ行くんですか」
「島原だよ島原! 一杯奢るから付き合えよ」
「俺はそんな場所……」

断っても腕を掴まれてそのまま島原の中までやってきてしまった。
馴染みの女がいると言われしぶしぶ頷く。
置屋の側を通り過ぎた時、裏手から若い女の声が聞こえた。

「お願いします……ここで働かせて下さい」

(……この、声)

聞きつけたのか飯塚も足を止めてそちらを見る。そこに。

(あの女……)

見覚えがあった。……三日前、あの雨の中で泣いていた女。

「借金のカタにってわけでも無いんやろ? 見たとこお武家の娘はんが何でこんなとこにおるんや、さっさとお帰り」

店の老女に諭されて俯く女の横顔。

「随分いい女じゃねぇか」

あの侍の女が何故このような場所に。
疑問の言葉を飲み込めば隣の飯塚がさっさと女に近付いて行く。
一体何をするつもりだと眉を寄せれば飯塚は値踏みするように女を正面から見定めた。

「何や、お知り合い? そんなら早う連れ帰っとくれ、商売の邪魔になるやろ」

老女はじろりと睨んで店に戻って行った。
気にせず飯塚は女を上から下まで見回した後で一つ頷く。

「武家の女子が何でまた島原なんかに来たんだい」

女は答えない。

「どうやら理由アリなんだろ? 働き口を探してるのかい」

女は怪訝な目で飯塚を、次に俺に気付いて口元に手をあてた。

「……あ」

漆黒の目が僅かに見開かれた。
あの時一瞬だけ目が合った事を覚えていたのか。ぎくりと胸が痛んだ。

「俺たちの使ってる宿が女手不足で嘆いてンだ。あんた、下働きでもよけりゃあウチに来るといい。俺たちの内情を見て見ぬフリしてくれるんなら給金弾むぜ」
「飯塚さん、勝手に……」

止めた俺を制して続ける。女は黙って聞いていた。

「女郎になろうって覚悟があるんならどんな仕事でもできるってもんさ。なぁ?」
「………………」

女郎になる覚悟があるなら……その言葉にざわついていた胸の内が冷えた。

(何故、身を売ろうとした……)

「お断り致します」

毅然とした声だった。女は真っ直ぐ飯塚を見上げて言った。

「人を探しております……人の集まる島原でなければならないのです」
「人探しか……そりゃあ難儀な話だ。で、一体誰をだい? お家の仇か? それとも逃げた旦那か?」

飯塚の言葉に女はそれと分かる程顔色を変えた。

「……そう、そうです。……逃げた男を、探しております」

「男が逃げ込むにゃあ島原はうってつけだしなぁ。だが店の婆じゃねえけどあんたにはちょいと愛想ってもんが足りねぇや。
ここは大人しく女中で我慢してくれねぇかい? 代わりにあんたが探してる男は」

そこでグイと肩を掴まれた。

「こいつに見つけさせるからよ」
「何で俺が!」

いいからいいからと窘められ、飯塚はどうだと女に迫った。

「あんた一人で女郎になって闇雲に探すよりはマシだと思うぜ」
「………………」

女の目が揺れている。目の前の二人の男を信用していいのか迷う色が見える。
逃げた男を探していると言った。夫らしき侍は死んでいる。ならば一体、誰を。

「……誰を探してるんだ」

思わず問いかけた声に女は凛とした声で返した。

「……夫を殺した男を、探しております」

 

―――――――――― 出逢ってはならぬ人。

 

「そりゃあとんでもねぇ理由だなオイ……」

飯塚もさすがに顔色を変えた。

「……お分かり頂けましたのなら、私はこれで」

立ち去ろうとする女の行く手を阻んでなおも飯塚は言う。

「待て待て。そんな物騒な理由じゃ尚更女一人で何ができるって言うんだ。
袖振り合うも多生の縁って言うだろ? ここは一つ、俺たちを信じちゃくれねえかい?」

どうして、そこまで。
俺は今、女と同じ事を考えているのだろう。
飯塚がここまで食い下がる理由が分からない。

だが自ら苦界に落ちようとしている女を黙って見過ごす事は後味が悪い。

「……本当に、見つけて下さいますか」

女の目が静かにこちらを向く。
その時、ちくりと左頬が痛んだ。
(……見つけるも何も、あんたの目の前にこうして立ってる)

「任せておけ。その言葉使い、京の出自じゃなさそうだ。見ず知らずの京で仇討ちたぁあんた大した度胸だよ。
よし、決まりだな。俺は飯塚、長州のモンだ。そしてこいつが……」

 

―――――――――― 出逢わなければならない人。

 

「緋村剣心」
「……雪代巴と申します」

 

知らぬ間に、恋が始まった。

 

続く