【 終 恋 】

私の恋は、終わりました。

書き終えて静かに日記帳を閉じると背後で刀の鍔鳴りがする。
初秋。深更。
この山里で暮らし始めて、もう一つの季節を終えようとしている。
汗ばむ程の風は今はもう冷たく、陽光に眩しく輝いた山はすでに深い色へと姿を変えていた。

また、鍔鳴り。
立ち上がり、奥の間へと向かう。
そこには夫が座ったままの姿勢で眠っている。いつものように刀を抱いて。
羽織だけを肩に、その紅い髪で頬の傷を隠すように。
その、幼い寝顔を。

……この人が殺した。
……この人が、私の愛するあの人を殺した。
……あの人を。

指を伸ばす。だが、彼には触れない。触れられない。
触れれば、途端に。

「……と」

彼の唇から寝息とともに音が漏れた。咄嗟に手を引くが、彼は目覚めた様子は無い。
そしてまた規則正しい呼吸が聞こえる。
いつからだろうか。
彼が私の前で眠るようになったのは。
周囲に人の気配がある時は決して眠らなかった彼が、いつからか人の気配があっても……私が側にいても眠るようになった。
それは刀を抱いた浅い眠りであったとしても確かに私に寝顔を見せる。
その無防備で無垢な寝顔。
温かな呼吸。
生きている、あなた。

でも、その頬に走る傷は確かに人斬りの証。

あの人を殺した、証。

私の復讐の、証。

灯りを遠ざけ、布団を彼の膝元にかける。また鍔が鳴った。
それが、彼の声のような気がする。
このまま彼を見つめていたら、私は。

(私は……このまま……)

ゆっくりと指を伸ばす。静かに、ゆっくりと。その額にかかる髪を優しく払う。
寝息は安定している。
目元に残る幼さを見るたびに。その頬の傷を見るたびに。
……この胸が、痛む。

私は、あなたを殺すために此処にいるのです。
あなたが、私の夫となるあの人を殺したから。
私は、あなたの妻になりました。

あなたの、妻に。
死が、二人を別つまで。

「……あなた」

呼びかけたのは目の前の少年ではない。
瞼の裏にある、懐かしい面影。
あなたが京へ向かう少し前に見せてくれた、涼しい笑顔。
あなたが私を呼んでくれる、優しい声。
まだ、こんなにも覚えているのに。

まだ、こんなにも。
私は、まだ。

あなたを。

私は。
私は、恨み憎んだはずの男の妻に。

これが、運命なのだというのなら。
私の恋は、あなたが死んだ時に終わっていたというのなら。

なら、この想いは?
こんなにも胸に残る、この悲しいほど溢れ出す想いは?
涙が出るほど愛しい想いは、あなたではないの?

「と、もえ……」

急に名を呼ばれ顔を上げる。
そこに眠る夫の姿がある。
私を呼ぶ声。

今はもう。
あなたしか、私の名を呼んでくれる人はいない。

「あなた……」

そう答えて、そっと彼の肩に近付く。
起きる気配のないその肩に額を寄せて目を閉じる。

「これは……」

溢れだす想いは涙に変わる。
枯れたと思っていた熱いものは、まだ私の中に在る。

こんなにも、切ない。

「これは、恋なのですか……?」

この胸に残る愛しさを抱いて。
私の名を、呼び続けて。

「…………あなた」

この恋が、私の身を滅ぼすまで。